MLメンバーによる謎の文書
(本家ぼやき師)
  「最辛、へそまがりスキー論&ぼやき」



・・・・さんの、MLの転送をいただいております。 メンバーの顔ぶれに正直いって、びびってます。 そういった立場のみなさんによんでもらうのは、ちょっとこわいです。 が、結局考えていることは、そんなにかわらないようで、ほっとしています。 悪い奴はどこにいるのでしょう。 いなかったりして。 でもいるんですよね。 その証拠に、雪上漫談師は今年も各スキー場で健在でしょうし。 インストラクターに滑走距離のわかるブラックボックスをつければどうでしょう か。 レッスン時間内で規定距離量にたっしないのはクビ。 いいかもしれない。 で、第5弾。 ”Boyaki”のするどい矛先は、あらゆる方面に。 というわけで、 今回は、「くたばれモグラ編」でーーす。 対象年齢が年齢だけに、こんどこそ作者の命もあぶないかもしれません。 ゲレンデで茶髪にかこまれて、ふくろだだき。 だったりして。 雪モグラというのがいたらすごい。圧雪車でせっかくならしたピステがだいな しになる。いたるところ穴だらけだ。パトロールは滑りながらモグラ叩き。モグ ラも大変だ。ただでさえ日光によわい。モグラの雪目は致命的にちがいない。な んて話しはどうでもよい。えせモーグラーのはなしである。 えせモーグラをモグラという。意味はない。たんに少々蔑視するいみで。茶髪 が悪い訳ではない。なまいきだから無礼だから気に入らない訳でもない。もった いないのである。その元気、パワー、度胸。使いみちをまちがっている。もっと 高きをめざしてほしいのである。 コブにもいろいろある。塩コブもある。だしコブもある。都こんぶだってあ る。こちらの好みは、すこしあまくてすっぱい都こんぶだ。って、はなしもどう でもいい。いずれにしても、コブを滑るのはかんたんだ。技術はいらない。ほん とうだ。ただし条件がある。体力である。度胸である。なにをしてもこわれない 丈夫な身体である。そうして、3本ほどねじのぬけた脳みそ。これで完璧だ。 モグラにあこがれる小僧。スキーはしたことがない。とりあえずK2かダイナ スター。ブーツはゲンかライケルあたりか。短めのカーボンポールもそろえる。 はじめてスキー場へ。プルークはぜったいにしない。整地ではターンできない。 ふりまわすことさえできない。いたるところでコケまくる。閉脚をかたくなにま もり、腰をくねくねするだけだ。タイミングもなにもわからないが、やみくもに ストックをつきまくる。「あたたたたた!」と奇声をあげれば、北斗のストック ワークである。ネタがかなり古い。とうぜん滑走後、ゲレンデは断裂、崩壊す る。ゲレンデもあきれるのである。 みんなの白い視線をしりめに、コブ斜面に。恐怖心、そんなものはない。ねじ は抜けているのだ。とりあえず、ひとつめのコブへ。腰をクネッとする。おお、 スキーの向きがかわるではないか。も、つかのま、アウトエッジで次のコブに真 横から激突!足ばらいをくらいもんどりうって、谷側へこける。頭からこける。 ところが、人間恐ろしいものだ。対応能力というものがある。またこういう小僧 に限って、能力がたかい。子供のころから、やってるのだ。赤ん坊のころ、階段 からなんどおちても、こりなっかたたぐいの奴等だ。論理的学習能力はない。肉 体派なのだ。で、2、3回くりかえすと、次のコブにぶちあたる前に、圧力に対 応するために身体を倒すことをおぼえる。ほんとうだ。たいしたもんだ。 少々脱線するが、おもしろい実験がある。修学旅行生である。特別に元気の良 い男子生徒。「チョベリグな止まりかたおしえてやるぜ。」だ。直滑降で滑って いって少々スピードのでたところで、ジャンプ。空中で板を90度ふる。あとは さっきのモグラといっしょで。たいへんたのしくコケてくれる。慣性の法則の実 験である。まわりの仲間がよろこんでくれるので、たいがいいやな顔はしない。 これも、数回くりかえすとちゃんところばなくなるから不思議だ。 くれぐれも、身体のじょうぶそうな奴に限る。 モグラ君の話しにもどる。こうして、彼はひたすらコブにアッタク。コケても コケても取り付かれたように。これを30日もくりかえせば、りっぱなモグラに なる。整地ではあいかわらずくねくねとしている。ストックのタイミングは良く なってるかもしれない。しかし、北斗のウェーデルンだ。しかしコブに入れば、 かなりのスピードで、リズム良くスピードもコントロールして、下りてくる。エ アの練習も積み目立てるようになってくる。できあがりだ。おしまいだ。ごくろ うさんだ。このままではこれ以上の進歩はない。 っさて、モグラのテクニックの分析だ。重心は最大傾斜線をはなれず直線的に ひたすら落下していく。板はブーツ中心に右、左と振られている。振られた板の ソールをコブの上部にたたきつけて、重心の落下に急激なブレーキをかける。こ の衝撃をありあまる若さと体力で吸収していくわけだ。見ているだけで腰がわる くなりそうだ。エッジが雪面をとらえることはけしてない。まかりまちがってと らえてしまうと、コケる。スキーがエッジの方向に走ることに彼の能力は対応し ていない。ここが、一朝一夕ではいかないスキーの醍醐味だからだ。 去年の6月、故セルゲイ・シュポレツォフに会った。なくなるおおよそ1月 前。ツェルマットでのロシアモーグルチームサマーキャンプだ。毎朝、ゴンドラ が一緒だったので、挨拶をしたり、かるく会話したりした。で、一流のテクニッ クである。どんなにすばやくスキーをまわそうともエッジが確実に雪面をとらえ てくる。その都度のスキーの進行方向にどんどんスキーが走っていく。重心はま っすぐ落下するのではなく、それそのものの軌跡がターン弧である。 あのスピードをスピードコントロールというかどうかは別だ。しかし、一定の猛 烈な速度で滑りをコントロールしている。真横から見ると、重心は小刻みにスピ ードを変えている。回転前半で落下のスピードを増し、後半で減速する。しかし スキーそのものと重心の瞬間瞬間の進行方向へのスピードは一定又は、後半に増 すことこそあれ、減速することはない。すごい!とおもった。 モグラはターンをしていない。一流は最高級のターンを最大のスピードでこな す。モグラから一流への道はながくけわしい。そんなことに気付かずに、ひたす ら目立つことにもえるモグラたち。気がつかなければ、彼らは20年後、30年 後、スキーをしているだろうか。続けていても、きっと腰痛もちだ。まあ、やめ ちゃってると思うけど。 生涯スポーツとして、成り立つウインタースポーツはすくない。スキーはもっ ともその可能性をひめている。自分の体力、能力なりに楽しめる。そう、ターン を楽しむからなのだ。年齢が高くなっても、それなりのスピードで、それなりの 条件を、最高にレベルの高いターンを描けたらどんなに気持ちがいいだろう。そ れを高い技術レベルというのだ。 モグラから入ることはけして悪くない。きっかけは何でもいいし。なにより、 彼らはおおよそ高い能力を秘めているのだ。目立てるようになってきたら、思い 切ってエッジを立ててみるといい。ここで、彼らは初めて恐怖をおぼえるかもし れない。自分の履いているスキーの本当のポテンシャルに圧倒される。そうし て、それらを乗り越えて一歩一歩一流に近づいていくのだ。そのためには、整地 でもちゃんとターンの練習も必要だ。やることがいっぱいでてきて、楽しいの だ。腰も悪くしないですむ。 これなら続けられる。はまるのだ。次から次へと課題があらわれる。スピード は落ちるかもしれないが、ちゃんじーになってからでも、えぐいコブをひょうひ ょうとなにもないかのように滑ってこれたら、かっこいーとおもわないか。 若い衆にフクロにされている、筆者みたら、しかとしないで、助けてください。 でした。 ('96.10.31)
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前回のあと、どうも悪いくせが出てしまいました。 テクニック論にどっぷりとはまってしまいました。 いかん、いかん、とおもいつつも、その魔力にとりつかれている私。 くれぐれも、上達する上で必ずしも必要ではないわけです。 逆に、取り扱いを誤ると、百害あって一理なし、です。 理論と実際の感覚は別と、割り切っていただけばいいんですが。 また、理論を実際に活かす方法が明確であれば、いいんですが。 夢中になっております。 だめな私。 ああ、私も、スキーインストラクター失格! というわけで、 しばしの沈黙をやぶって、ついにでました”Boyaki6”. その名も「スキーインストラクター失格編」 わびしい気分で読みはじめることを、お勧めします。 インストラクターになって、5年もすると、だいぶ慣れてくる。仕事ばかりで はない。環境にも順応してくる。スキー場の人脈にも通じてくる。リフトに乗る とリフトマンが、ミカンをくれたりする。ミカンをむくのに夢中でふと気がつく と、ストックをおとしている。レッスン中である。あわてず、さわがず、次の練 習問題は、ストックなしでおこなう。インストラクター失格。 シーズンは長い、休みはほとんどない。3月にもなれば、当然疲労もたまって いる。レッスン中、運良く一人でリフトにのる。春のやわらかな日差しをうけ、 ふと睡魔におそわれる。降り場にきてもまだねている。折り返し点で、遠心力を うけあわててめざめるが、もうおそい。 おおさわぎする生徒達とすれちがいながら、「くるなー!そこでまっててー!」 とどなる。 ひとまわりして、生徒の所にもどる。むなしい。インストラクター失格である。 志賀高原はひろい。ブナ平上部で初心者のレッスン。そこに暴走スキーヤー。 自分の生徒に接触。生徒は転倒。暴走スキーヤーは、謝りもせず、逃げさる。イ ンストラクターにストレスは多い。常に一触即発なのだ。とうぜん切れる。生徒 に「ここで待ってて」とかいって、追跡。やっとつかまえて、説教をくらわせ る。気がすんで、ふとみれば、ここは丸池。生徒はどうする。インストラクター 失格である。 いま書いたように、インストラクターにストレスは付き物。多くの場合合宿生 活が、シーズン中ずっとつづく。万年体育会である。後輩でストレス解消。レッ スン開始15分前。あわててユニフォームに着替える。ターゲットをきめる。他 の後輩に命令。「おさえこめ」。上半身に、唐辛子エキスいりのクリームをたっ ぷりすりこむ。マジックでいたずらがきをする。下半身をガムテープでぐるぐる まきだ。時間はない。後輩はそのまま、ユニフォームを着てレッスンへ。最近の 雑誌で、某スキースクールのスタッフ募集のPRをみた。「上下関係のないフレ ンドリーな職場」とか書いてあった。ここは、よっぽどひどかったんだなー。と わが身をふりかえる。インストラクター失格である。 このように、インストラクターはたのしい?こんなこと一生つづけていられた ら、幸せである。こんなんで、生活できたら最高だ。ところが、そうはいかな い。いつかは、社会復帰だ。 スキーを続けていかれる者は、おおくない。スキービジネスに身を染めるか。完 全にスキーを離れるか。生涯一インストラクターであることは、困難である。 若い情勢の街頭アンケート。彼氏にしたい職業ベストテン。スキーインストラ クターは、堂々の2位である。かっこいいのである。機会があれば若いうちに、 いちどやってみるのもわるくない。青春は二度と来ないのだ。日本人はさくらが 大好きである。いさぎよいのである。パッと花をさかせて、身をひいていく。そ れでいいのである。しかして、1位は、マッサージ師さん。冗談かとおもった が、いつかテレビで見た。本当である。 失格、というからには、合格がある。その条件とはなんだろう。まず、技術、 理論を含むスキー指導そのものの能力である。もう一つは、生徒を楽しませる能 力である。ひとつめは当然であるが、ふたつめも見落とせない。 だれでも、最初は初心者。はじめる動機もさまざまである。不純な動機のもの もいるだろう。モグラもいるだろう。ジャンキーもいるだろう。ほんとうのスキ ーの面白さがわかるには少々時間が必要なのである。こんなときふたつ目の要素 はおおいに必要である。しかし両方の能力を兼ね備えていることは、まれであ る。ひとつめの能力には自信がある者。このタイプは了見がせまいことがおお い。よくいえば、まじめなのである。悪く言えば石頭。プルークボーゲンの生徒 にまでストイックな取り組みを要求してしまう。ああ、身に覚えが。とうぜんふ たつ目の能力はない。 ふたつ目に長けたもの。このタイプは、優柔不断である。良く言えば考え方が 柔軟。悪く言えば、いいかげんである。レッスンはでたらめである。 余談であるが、両方を兼ね備えたすばらしい、インストラクターも存在する。 当然その部下たちも影響をうける。上部数名は、そういうものとして、成長して いく。しかし、大半のとりまきは、吉本興行化している例がおおい。みたい。 夜な夜な、生徒の前で裸踊りを披露するのもいいだろう。瞬間芸をみがくのも わるくない。 でも、スキーのお勉強もしてちょうだいね。 と、いうわけでまたまた、はなしはまとまらず。 しかしこの辺のはなしには、ようやく一条の光が差し込んできているようです。 文部省の提唱、参加で、スキーかかわらず、さまざまなスポーツの指導現場にお ける指導者の資格が、各種団体によって、よりきちん確立される兆候があるから です。 わたし本人、このへんに大いに期待しています。 ちなみにわたしは、まじめなスキーインストラクターです。いしあたまです。生 徒をレッスンの面白み意外で、引き付ける能力に欠けています。 以下、あまりにお下劣ですみません。 「インストラクター失格、番外編」  レッスン前にトイレにいくのを忘れてしまった。2時間がながい。猛烈な寒さ がさらに尿意を促す。我慢出来ずに、「はい、では今までのことを、念頭におい てそれぞれで滑ります。自分のペースで結構ですから、じっくり確認しながら長 い距離を滑ります。第?リフト乗り場で集合です。」と、生徒をすべらせ、いそ いそとやぶのなかへ。  インストラクターのユニフォームは市販の製品の色違いだったりする。カッテ ィングはいっしょだ。ところが、景気の悪いときは、材質がちがってたりする。 ゴアテックスがただのナイロンに。ダクロンの中綿が、ただのわたに。というわ けだ。で、寒い。タイツ2枚、ジャージ2枚をはいて、更にウインドブレーカー のズボンをはいている。 あわてて、一物を、ほりだそうとする。が、寒さにめげ て、小さくなったそのものはなかなか姿をあらわさない。必死の形相で、とりだ し、放尿。目の前がまっしろになる。なんともいえない開放感。生きていてよか った。  さあ、いそいで生徒のところへ。衣類の分厚い層を引きずりあげた瞬間。あま りの重ね着に圧迫されていた尿道のなかの、残り物が、パンツのなかへ。じょろ りん。すさまじい、敗北感である。いくあてのない焦燥感である。ああ、インス トラクター失格。 ('96.11.07)
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ついにこのシリーズも7回忌を迎えてしまいました。 自分でも、こんなにつづくと思ってませんでした。 書きはじめたら、結構、筆がすすんで。 永年、胸の奥にためていた物がほとばしり出てくるのでしょうか。 おぇ。 本題「最辛、へそまがりスキー論」のほうは、どこへやら。 Boyakiシリーズが、定着しています。 やっぱり、作者の本来の意図はこっちだったのか、と妙に納得したりしていま す。 7回を記念して、特別企画です。 リクエストもあったので、いってみたいと思います。 「無能スキーヤー上達法序論(理論編)」 副題:これが、運痴だ! でどうでしょう。 まとまったシリーズになりそうな気がします。 どうなることか、作者も予想がつきません。 とりあえず、はじまりはじまり。 無能スキーヤーである。無能だからといって、ばかにしてはいけない。よだれ をたらしているわけでもない。ゲレンデ中いたるところで、脱糞したりするわけ でもない。だから、あなどってはならないのである。はは、のっけから論理がむ ちゃくちゃだ。 なぜ無能スキーヤーなのか。最初は「女の子」とか「彼女」とか「嫁さん」と か「かーちゃん」とか「ババア」とか「ドブス」とかしようかと思ったけどやめ た。この人達を総称して無能という。わけは、ない。男性も含め、ほっといたら なかなかうまくならない人という意味である。女性のみなさん、誤解のないよう に。 運動神経という神経は、ない。あったらすごい。どんな形態してるんだろう。 オリンピック選手の運動神経は太いのだろうか。トレーニングによって、肥大さ せることができるんだろうか。ムキムキの筋肉にさらに肥大した神経が、スポー ツマンのあかしになる。ボディービルダーのスタンダードもまったく違ったもの になる。うーー、想像しただけできもちわるぞ、これ。 たしかに、何をやらしても、すぐ上手にできちゃう人もいる。対して、いわゆ る運痴もいる。どこが、ちがうんだろう。結局は、以前にどれだけ現課題の運動 に類似の運動経験をもっているか。どうか、だそうだ。つまり、赤ちゃんのころ から、活発で、元気がよかった連中のことだ。かれらは、活発に動く。だから、 偶然ではあるが、様々な運動を経験する機会がおおいのである。こういうと、聞 こえがいい。しかし、実際はというと、落ち着きがない。授業中いっときとして じっとしていられない。クラスのやっかいもんである。ときどき階段からころが りおちたりして、親を心配させる。鉄棒から落ちて鼻血まみれになったりもす る。やれともいわれないのに、布団の上でバック転の練習なんかして、後頭部か らおちて、病院通いをする。と、ろくなもんじゃねぇ。で、結局、おとなしく て、いい子には、光は射さないのである。つまり、運動能力の原点には、性格が あったのである。ほんまかいな。 と、いうと、もうおわかりだろう。以上より、一般的に男性の方が、ガキのこ ろから比較的落ち着きがなく、女性のほうが、比較的あるわけだ。あくまで、一 般的、比較的である。で、こういう、能力のあるのは、ほっておけば、いいので ある。度重なる転倒と、ときによっては、傷害を代償にこいつらは、鼻血をたら しながら上達していくのである。なにがあっても、めげたりしないから心配ない のである。どうも、モグラのみなさんを思い出してしまう。さらに、必要な条件 を与えてやれば、上達は加速する。なにしろ、ぎゃははーーと、ばかになって、 雪山を暴れまくっていれば、あっという間に、エキスパートだ。こちらにして も、最高に楽な客である。お客になってくれないことが、おおいけど。 さて、問題は無能スキーヤーである。前述のようにおとなしいのである。滑っ たり、転がったり、することには慣れていないのである。自分のからだを、歩く 以上のスピードで移動させることなど、めったになかったのである。動的バラン スもわるい。筋力も、比較的すくないだろう。逆上りもできないだろう。球技も 空振りの連発。自転車ものれない。走るのも、天地真理だろう。 なんか、書いてて目の前が暗くなってきた。やっぱりやめようかとも、思いは じめた。気分がめいってくる。しかーし、これこそがインストラクターの使命で はなかったか。こういうひとたちにこそ、指導論、上達論が、必要なのである。 と、いいつつも、どんどん意気消沈していくのは、なぜ。 気をとりなおして、明るい方にも目を向けてみよう。定着している運動が少な いので、運動にクセが少ないのである。つまりこっちのなすがまま。このみのタ イプにしたてることが、可能である。おこのみの、である。ひひひ。おっとっ と、あくまで、対象は女性に限定されていないことを明言しておく。だからあ、 適切な指導さえあれば、効率の良い上達の可能性が高いのである。なんかむなし くひびくなあ。 とにかく、動作がすなおであることはいえる。ただし、滑ること、転ぶこと、 スピード、傾斜、新しい運動などに対しての恐怖心がつよいのである。ちょっと でもこれが有ると無能スキーヤーは石化してしまう。無能が加速するのである。 無能スキーヤーの上達はこの恐怖心の克服にかかっているといっても過言ではな いのだ。大原則として、以下がが考えられる。 自らの意識でつねにとまれる範囲の条件ですべる、ぜったいにぜったいに転ば せない。 その条件を、無意識のうちに徐々に難しい物にして行けるような展開。 で、ある。近道は存在しないのである。ひとつとして踏み外してはならないの である。段階をいそいで、一つでも踏み外すとそこまで積み上げた物が、水泡と 化す。一緒に食事をしたからといって、ホテルに誘って失敗した例はおおい。そ おいえば、あのとき。と後悔してもおそいのである。てな、話しはどうでもよか った。あくまで、対象は女性に限定されていないことを明言しておく。明言して おくぞー。 むかしむかし、女の子を5日間、完全初心者でもった。レッスンは大成功、帰 るときには、中級の上くらいになっていた。特別の能力があるわけではない。 様々な条件がそろった結果である。本人もスキーが大好きになって、大喜び。本 人のすなおで、一生懸命の取り組みを、ほめちぎった。こっちは、奥ゆかしいか ら、レッスンがよかったとは口がさけてもいわない。実際そうなのだ。インスト ラクターはあくまで、お手伝いにすぎないのだから。 しかし、図に乗ってしまった。**をおだてたので木に登ってしまったのであ る。これで、スクールの常連を確実に1名確保したという、思惑とはうらはらで あった。彼女は、2度とスクールにこなかったのだ。まあ、たしかに、あとは自 分で滑っているだけで、どんどん上達するような方向付けができては、いたんだ けど。 かんがえてみたら、普通は5日間でどのくらいのもんか、って基準も彼女には なっかったのである。あたりまえである。ここにくるまで、スキーやったことな かったのである。だから本人の上達がいかに価値があることか、わかる訳もなか ったのである。いまごろどうしていることやら、むなしいぞ。バカヤロー! と、いうように、スキーインストラクターはみじめだったりもするのだ。 ま、主任や、同僚に誉めてもらったから、うれしかったけど。 で、今回はおしまい。 なお、本文中に不適切な表現が多数あることを、おわびしますが、ひらきなおり ます。 と、いうわけで、次回は「無能スキーヤー上達法しょにょ1(初心者編)」の予 定です。 あくまで予定ですから、どうなるかわからないけど。 今回、実は最初この題名だったんです。 が、まえおき的お話しになっちゃたんで、途中で改題しました。 この路線でしばらくいってみたいと思います。 それでは、また。 ('96.11.13)
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女性の敵.ちょっとびびってるです。 「無能スキーヤー上達法しょにょ1」である。初心者編である。対象はあくま で、女性というわけではないのである。くれぐれも。モグラにふくろにされ、そ のうえ女性陣につるし上げられては、たまらないのである。ともかく、本題へ。 まず、用具。簡単である。まず借りる。レンタル。で、スキーは身長よりわず かに短め。ブーツは、まあ、いたくなければ良いだろう。問題はストック。長尺 を選択する。脇の下くらいまであってもいい。こいつに活躍してもらうわけであ る。 無能スキーヤーであるからには、段階をとばしてはならない。かといって、そ のへんをのたのた歩いている暇はない。体力がないのである。スキーを覚えるこ とに専念するのだ。スキーを着けての歩行なんて、どうせいやでもどこかでや る。で、いきなりプルーク。無謀ではない。超うらわざである。 平地でスキーを装着したら、とにかくちゃんとまっすぐ立っていてもらう。足 首、膝なんて伸びきっていていい。動作には不都合だが、筋力的にはそのほうが 有利なのだ。無能スキーヤーだから、筋力だってないのだ。尻も重い。いままで つけたことがないスキー用具を身に着け、転んだり、しゃがんでしまったら、二 度と立ち上がれないのである。あ、あくまで女性に限った話しではない。尻が重 くてにぶい男だっていたっていいじゃないか。く、苦しいぞ。 さて、ちゃんと立ったままとりあえず、その場でプルークにスキーをひらく。 そこでストックの登場である。ストックは両膝の外側をとおし、両ブーツのちょ っと後ろに突く。両スキーの内側だ。これで前方にはプルークで、後方にはスト ックで支えができた訳だ。しかも、強制的にプルークは維持される。 さて、ストックで押して、前進。とりあえず、トップが開かないようにだけ注 意して前進。。ただし、まず1センチ。次に2センチ、4センチと、距離を伸ば していく。くれぐれも、メジャーではかったり、雪面にめもりを書いたりしない こと。あくまで、本人の感覚でいい。10センチくらい行けるようになったら、 プルークの形がかわらないように、意識してもらう。視線?そんなもん、スキー のトップみてればよろし。遠くを見るなんて、そんな恐ろしいこと。で、プルー クが崩れずに進めるようになったら、ストックで押しているときの自分の足のう ら内側の感じを覚えてもらおう。両足がズルズルしてたら合格じゃ。で、ストッ クでおして進む距離を32センチまでのばす。測定するでないぞ。 感じをつかんだら、その辺の平地をこの方法で、なめくじのようにはいずりま わっていただく。押してはとまり、押してはとまり、停止時に自分の進行方向を 確認すればよい。キョロキョロ。思ったよりも右に行ってしまうようなら、右 腕、左に行ってしまうようなら左腕に頑張ってもらう。ストックで押しているあ いだだけ進む。押しおわったら確実にとまる。で、おしかたをいろいろと変えて みる。大きく押したり、小刻みに押したり。 こんなことをしていると、周囲から異様な目でみられる。足元を見ながらズル ズルとなめくじのように前進するのである。牛乳瓶の裏のような眼鏡をしている と似合うだろう。しかし、それでいいのだ。みにくいあひるの子である。いつか は、美しい白鳥となるのだ。それはともかく腕が疲れる。スキーって腕でするも んだったのね。 両かいなにはもう少々頑張っていただく。やることは同じだが、今度は片方の 腕だけ強く押していただく。たとえは、右腕。これを何度かくりかえすとスキー は徐々に左へと向きを変えていく。ついでだからひとまわり。円をかいてしまお う。左腕にも頑張ってもらって、8の字をかいてみる。最初のポイントは、押し ながら向きが変わることをおぼえてもらう。静止中には向きは変わらないこと を。あたりまえのようだが、無能スキーヤーである。最初うまくいったのに、次 には向きをかえることに一生懸命で、推進することは、忘れているのである。プ ルークン姿勢で停止したままうなりつづけるのである。冗談のようだが、ほんと うである。向きを変えようとして変わるのではない。左右の推進力に差をつける と結果として曲がるのだという理解をしてもらう。 プルークファーレン、プルークボーゲン、通して好ましいのは滑るプルークで ある。制動プルークではない。しかし、無能スキーヤーである。通常の理論で は、推しはかれないのである。でなければ、なんで、初心者のクラスに落ちこぼ れがでるのだ?そういう皆さんに、結果として、能力、体力のある生徒と同等 か、それ以上の成果をもたらそうという大胆不敵な上達法である。したがって、 はずかしくてもいい。みっともなくたっていい。それが有効とわかればなんだっ てする。制動だっていいのである。滑るプルークなんてこわいんだもーーん。 と、いうわけで、ここまで長くて約1時間。もちろん一度も転んではならな い。すると、それなりの安心感もでてくる。強要しなくても、徐々に視線も前を 見ている時間が、足元を見ている時間よりも長くなってくる。ちょっと休憩でも いれて、いよいよリフトへ。 ところで、スクールに戻ってきて、「あの生徒むちゃくちゃにぶくて、チョー むかつくぜ。2時間やってもなんにもできねー。」などとほざく、インストラク ター。けっこういるのである。それって、自分の無能さを宣伝しているようなも んである。おろか者め。インストラクター失格じゃ。 ころがったまま自力で立ち上がれない生徒の横に仁王立ち。「たて!たつん だ!じぃよおおおおお!」と、いうかどうかはしらない。だけど生徒は、スキー を習いに来てるんで、根性を鍛えにきてるんじゃおまへん。おまえもインストラ クター失格。 おっと、インストラクター失格編にもどってしまった。 さてさて、次回は、「無能スキーヤー上達法しょにょ2」まだまだ初心者編。 なんか、えらいものを書きはじめてしまいました。 のりかけた船、なので、気長にライフワークにしようかと思います。 こればっかり書いてると、本人も飽きてしまいそうです。 ときどき、本来のもっときわどい奴を書いて、気合をいれましょう。 ('96.11.14)
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