MLメンバーによる謎の文書
(本家ぼやき師)
  「最辛、へそまがりスキー論&ぼやき」


シーズンもちかく、MLもにぎやかです。 つらつら思うところがあって、たまには登場です。 普段思っていてもなかなか人には話せない話です。 当MLのみなさんに対してなら、批判にならないので、ひねくれものになって書 いてやろう。あくまで一般的な話しですから、PJMLのみなさんとは全く無関係。 あれ、てことは、みなさん異端児? いえいえみなさんが数少ない正統派の一つのながれであると信じてのシュテム暴言。 初回(最終回?)の今回は、「スキー修行編」 日本人は修行がお好き。スキーまで修行してしまうのである。深く、深く瞑想 までしてしまうのである。リフトに乗っていると、一組のグループがコースでス キーレッスン。インストラクターのレクチャーに、傾聴。そのそばを滑り下り再 びリフトでのぼってくると、彼らはまだ同一地点。レストハウスでやったほうが いいんでないの。そういうの、見たことありませんか?楽しいんだろうか?楽し いのである。なにが?問題をかかえ悩み、苦しむことが、彼らの修行であり、至 極のよろこびなのだ。ほんとはスキーじゃなくてもいいんだ。 確かに日本人向きのスキーレッスンは難しい。スキー技術を向上させ、さら に、様々な条件を紹介し楽しんでもらうのが、本来のインストラクターの仕事。 ところが日本では更に、精神的SMプレーまでおつきあいしないといけない。 「あなたぜんぜん踏めてないですよ。」とか「パワーのかける方向がちょっとち がうんだよねー。」とか、いわれると、それをネタにひとシーズン楽しんじゃう んだからすごい。「あー、だめ!まったくだめ!ぜんぜんだめ!」なんていわれ ると、もう、恍惚としていってしまいそうになったりして。極めつけは、ひとこ と「後傾!」これで完全にいってしまう。需要があれば、供給がある。生徒をけ なして、商売になるなんて、どういうことだ。ところがこういうインストラクタ ーは我が国では結構多い。 適確なレッスンをおこない問題なく生徒が伸びていけば、そんなにしゃべる必 要ないのだ。カリキュラムが進むごとに「はいけっこうです。」と繰り返してい ると、「先生、私の悪いところはどこですか?」とくる。言っただけで直った り、できたりするならいいんだけど。たいがい頭でわかったつもりになるのが、 一番大きな障害となるのだ。指導理論上もはっきりしてるんだけど、理論はでき てからわかるもの。言葉を追ったところで、できる人間の動作、感覚は、できな い人間には運動共感として機能しないのである。優れたインストラクターは、 個々に必要と思われる練習問題をあたえ、必要に応じて補助的な手段を有効に利 用して技術を向上させる。そのあと要請があれば技術こまかな説明をしてもよ い。できたら一杯やりながら。こんなの常識だー。 考えながら、かちかち状態で滑ってたら、練習の効果も半減。楽しんで、のび のびやったほうが、良い結果がでるのは当然。でも、うまくならなかったら、そ りゃ、あんた、インストラクターが無能なのだ。でも、本当に有能なインストラ クターが多くないのも事実。レベルの高いスキーヤーはある程度割り切って、ゲ レンデ案内程度に利用している人もいます。でも、生徒さんが、口のわるくて意 地悪で無能なインストラクターを望んでいる限り、良い状況はけしておとずれな いだろう。スキーをすると性格がひねくれる、といわれてしまう。 おもわず、吠えてしまいそうなくらいの喜びに充ち充ちて(あ、実際吠えてる か)、パウダーを蹴散らす皆さんにはおおよそ信じられん世界が、日本のゲレン デには蔓延している。早い話、楽しめば、それでいいのだ。もちろんダイレクト にスキーを。間接的なのはだめ。恐れ多くも、かしこくも、このすばらしいスキ ーというスポーツを、修行の道具や瞑想の種にしないでもらいたい。また、それ を助長し利用し、つけこんだ商売をする業界の一部、絶対にゆるせん。スキー雑 誌の技術論は、自分の感覚に訴えるものだけ信じるとよい。それは自分ができる 技術なのである。納得のいかないものは、悩まずに無視をきめこむのが得策。ど んなにもっともらしく理論的に書いてあっても、最後は所詮他人の感覚の表現で しかないのだから。それより一流のスキーヤーの写真をみてイメージづくりをす るほうが、よっぽど効果的である。修行スキーヤーや瞑想スキーヤーを喜ばすよ うなものより、みて、読んで、わくわくするような書籍が、のぞましい。 あー書いてて訳わからなくなってきた。とにかーーーく、スキーはまず楽しく である。手付かずの手ごわそうな斜面によだれをたらし、大声をあげながら、ま いあがる粉雪にむせ返りながら、いっきに滑り下りる。ぶったおれ破裂しそうな 心臓の鼓動を感じ、ひーひー言いながら、生きててよかった、スキーができてよ かった、と心の底から思うのである。これが楽しいということでなくて、なにが 楽しいのか。同じ様に、レースやコブ、テクニック向上を楽しむことは可能なの だ。 PJMLのみなさんには、よーくわかっていただけたと思います。 ゲレンデで、2時間のレッスン時間内で、ひとり数十メートルしか滑らないよ うなグループとインストラクターをみかけたら、心の中で「あほかいな」とつぶ やきましょう。そうして、本当の意味でスキーを楽しめる人々の輪をどんどんひ ろげましょう。大きな意味で、そうすることが日本のスキー環境をよりよくして いくのではないでしょうか。 とにかく、このシーズンがメンバーの皆さんに実り多きシーズンとなりますよ うに。いやというほどの深雪にめぐりあえますように。 ('96.10.24)
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さてさて、気をよくして、第2弾いきます。 ほかのお題もあるのですが、先をあせらず、じっくりとで。 今回は「修行編そにょ2」ということでよろしく。 修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ。というわけで、ひたすら、修行するの である。我をわすれ、目はうつろに、口は半開きに、肛門も半開きだ。無欲なの である。それ以上を望まないのである。それ以上望むことは、不謹慎なのであ る。外野の誘惑には負けないのである。「パウダーいこうよー。」とか、「コブ いこー、コブ」とか、いわれても応じない。いままでの修行がだいなしになるか らだ。「滑りが狂うから。」だそうだ。シーズン中朝から晩まで、時間のある限 り、決まった斜面をすべる。決まった一定の回転弧ですべる。決まった一定のス ピードで滑る。左右2回転しかしない。指導する立場にちかい若手の日本人スキ ーヤーの姿である。そういうことが要求される環境なのである。こういうスキー ヤーがいたら、ぜひだましてパウダーに連れていこう。できたら、クラストのほ うが楽しい。いじめ?とんでもない。彼を邪悪な呪縛から解き放つために。それ にしても、こういうのにかぎって、やたらカッコ気にしてるから、おもしろいん だよねー。あ、やっぱりいじめ。で、準指検定かなにかおちると、こっちのせい になってしまう。ご愁傷様。 パラレル左右2ターンずつで、技術力は判断できる。でも、精神まではわかり っこない。自分が心からその滑りを堪能し、技術だけでない自分自身を表現する ためには、もっと柔軟な条件設定が必要だろう。「スキーをします。」という と、「何級ですか?」と問われる。「どんな斜面がすきですか?」とか、「スキ ーでなにをしますか?」とは聞かれないのだ。 人間は弱いものだ。修行者とて例外ではない。客観的等級判断は、どうしても ほしい。修行を積み、ステージをあげ、一般修行者の頂点(shidouin)を極める と、あとは教団のなかの権力闘争だ。スキー場を抱える村のスキークラブの役職 はまわりもちだ。かれらはもうほとんど雪上にはでない。この段階に達すると、 修行者は修行をやめるわけだ。メロンも食べられる。解脱者に戒律は存在しない のか?彼らにとってスキーってなんだったのだろう。だから初回にも書いたはず だ。別にスキーじゃなくてもいいじゃない、って。そういえば、日本中ありとあ らゆる組織団体でこういうのやってらあ。サル山のおサルさん状態。名刺に「ス キー学校長」ならともかく「元」がついてるのまで見たことがある。「・・スキ ークラブ会長」、てのも、人気らしい。みんな雪上の仕事はしない。宴会の挨拶 が仕事みたいだ。ほかにも仕事はあるんだろうけど、とにかく雪の上ではめった にお目にかかれない。 そう、修行者は潜在的に権力闘争者でもあったのだ。勝手にやっててね。と、 いうわけで、われわれはそんなの付き合っていられないのだ、忙しいのである。 この間まで自分の力で強引に「ふんぐー!」とかいってターンした悪雪を、こん どは外力を十分に利用してばっちりご機嫌に決めなくては。で、考えることも一 杯あるし、トレーニングも必要だし、大変なのである。 基礎スキーそのものは否定出来ない。読んで字の如く、スキーの基礎なのであ るから。ただし、これだけが独立して一人歩きする姿はいかがなものか。反対に 基礎なのだから、そのうえに積み重ねるものがなかったら、気持ち悪いのだ。こ ちらは、その部分を指導する立場なのだが、あえていいたい「スキーヤーよ、こ こにばっかりいないでね。」と。心配だったら、いっしょにおつきあいするの だ。深雪にまみれてきてほしい。コブで、コケて首がまわらなくなるのもいい。 三段腹でワンピース着てレーシングもいい。見たくないけど。そうして、どうし てもどうしても、つらくなったら、かえってくるんだよーー。基礎スキーの世界 に。 基礎やんなくても、十分に楽しめるんだったら、それはそれで結構。インスト ラクターのでる幕はなし。めでたしめでたし。中毒症状を悪化させさらに刺激を 求めつづけるだけで、実は上達は約束されている。極限状況では特定の技術がそ の都度要求されるからだ。できていなければすべれない。ころぶ。だから話しは 早い。もちろんインストラクターがそれを補助することも可能だ。 何をしようが滑れてしまうようなできのいい道具で、整地を滑っていても根本 的には技術向上は難しい。だってへたくそでも滑れちゃうんだもん。ころばない から。あとはカッコつけるくらいである。よっぽど指導的に厳密な設定をしない かぎり、本人ができた、できないの判別ができないのである。だいたいこいつら はカッコつけてるから、自分ではうまいとおもってる。へたくそだけど。あう ー、クラストの山奥に連れていって、捨ててきたい。 はは、今回もまとまりのない終わりかた。 もっとも、結論は最初から考えてないので、これでいーのだ。 というわけで、今回はこれまで。 ほんとにこんなの書いてていいんだろか? 腹の立つ人がいたら、ごめんなさい。 PJMLは大丈夫としんじてますが。 なんか怖くて、次回おたのしみにと素直にいえない私でした。 ('96.10.26)
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連発だーー! というわけで、3回目。 今回は、「技術革新編」。 よろしく。 技術革新といっても、スキー技術だけのことではない。マテリアル である。両者は常に影響しあいながら、進歩してきたのである。 生まれてはじめて履いたスキーは、単版であった。ブーツは、当然、 紐絞め。ブーツという形状ではなかった。そう、スキー靴。小学校4 年生のころ、初めてエッジの着いた板。うれしくて、枕もとにおいて 寝た。でもまだ単版。エッジもビス止め。だめになると、自分で部分 張り替えが可能であった。そう言えば、ソールはまだ木のままで、ラ ッカーを刷毛でぬってた。グラススキーは中学生。 ほんの30年前までの話である。オーストリアスキー教程では、一 般スキーヤーの目標はシュテムシュヴンクであった。パラレルシュヴ ンクは、特別なエキスパートのみ可能な至高のテクニックだったので ある。まして、ヴェーデルンなんて。 当時、エッジを立てて荷重するだけではスキーは、まわらなかった のである。サイドカーブはあった。しかし、たぶん、理論だけが先に いっていたのだ。たわまないスキーでは、サイドカーブは無用の長物 か。前傾して、荷重点をトップに移す。大きくすばやい伸び上がりに よって抜重。さらにトップを中心に、踵を押し出しスキーを振る。こ うやってターンのきっかけをつくっていたのだ。身の毛もよだつよう なテクニックである。前傾不足は、きっかけをつかめずスキーは、あ っち、体は谷へ。こういうコケかた、最近見られなくてさみしい。当 然こんなスキーで深雪やコブを滑れたのは、特別なスキーヤーだけ。 グラススキー、メタルスキー、の登場、新素材、複合素材の開発に よりスキーの性能は飛躍的に向上した。スキーヤー仕事もだいぶ変わ ってきた。ベンディング系の技術の登場。当初これにも、抜重の要素 があった。屈伸抜重とかいって。 ステンマルクのデビュー戦のビデオを最近見た。スキーの動きが全 然違うのである。まるで、板っ切れのように全然たわまない。ぶるぶ るとバイブレーション。しかし彼のテクニックはすでに、次の時代を 先取りしていた。いや、こういうテクニックを持ったスキーヤー新し いマテリアルを産み出す源となっていたのかもしれない。 で、現在、スキー簡単になった。本当である。あっけないほど簡単 になった。修学旅行の高校生初心者。3日間で、パラレルができるよ うになってしまう生徒さえいるではないか。 しかし、人類のスキーに対する適性が進化しわけではない。30年 や、40年に進化論はあてはまらないのだ。種としての突然変異は起 きるわけもない。生まれたときから足はスキーに、手はストックだっ たら、すごい。足首関節は前傾し、カントもついてたりして。エッジ は爪の組織が変化してできるのだろうか。大人になるとエッジがりっ ぱに固くなるのだろうか。町にはエッジ研ぎ屋さん。鹿の角きりみた いに。い、いかん完全に脱線だー。 とにかく、前述のように最大傾斜線(フォールライン)手前で谷側 にコケることはほとんどなくなったのである。少しでも最大傾斜線を 越えられれば、事情は大きくちがうのである。転ぶ方向は、おおよそ 山側であり、怖さはおおちがいだ。エッジをたてて荷重すればまわり はじめるスキー。これはスキーヤーに大きな可能性を与えてくれた。 それまではゲレンデで十分な困難さと、それを克服する喜びがあった。 おおしくも、こういう喜びを失いたくないスキーヤーはより困難な条 件をもとめてゲレンデを飛び出したのであった。クラストや悪雪では、 いまだってできるのだ。スキーまわそうとした途端に谷側にペチャっ とこけたり。PJMLのメンバーなら経験しているはず。 マテリアルの革新は、ゲレンデを御座敷化してしまった。この中だ けで、楽しむためには、なにか怪しいゲームが必要になってくる。技 術を細分化し、スキーヤーに優劣を付け、階級闘争ゲームをするので ある。本当にうまい奴を決定する正確な比較基準もないままに。だか ら、世渡りのうまい奴はちゃんと出てくるわけで。あ、いつの間にか 修行編にもどっている。 マテリアルの進歩をより発展的に受け入れていく為には、昔は考え ることさえできなかったことを、目標にするべきだ。スキー技術の優 劣を競うことだってわるくない。立派なコンペティションだ。しかし 基準が曖昧なのはつまらない。トップスキーヤーをしても一つ間違え ればこけてしまうような条件設定をして、こけた、こけないで優劣を 競うというのはどうか。おもしろいとおもうんだけどなー。 ('96.10.26)
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でたーー! と、いうわけで、第4回です。 今回は予告通り「深雪指導法編」。 ちゃんと書けるんだろか。 とりあえず、はじまりはじまり。 深雪指導法である。禁断の領域である。良識ある指導者があえて、避けて通っ た。それほどに危険な暗黒地帯である。われとわが身を焼き尽くす紅蓮の炎に包 まれようとも、今日こそ明らかにする。PJMLのために。 そんなにいいもんか。傍のもの達はそう思う。ほとんどは、それで終わる。一 部は、「変な奴等」と蔑視する。希にさらに希に、「そんなにいいんかなー」 と、興味をしめす。そんな奴等に乞われ、よかれと思い、結果として彼らを奈落 の底へつき落としてしまった。PJMLメンバー。いるでしょ。今回は、そんな 悲しい出来事が起こらないように。あえて一筆。 第一段階。まず、これからしようとしていることの恐ろしさをしっかりと認識 してもらうこと。一度足をふみいれたら、二度と後戻り出来ないこと。よーく言 い聞かせるのである。死して屍拾うものなし。である。練習はたいしたことない が、とりあえず体力勝負であること。冬山、雪崩、天候の怖さ。状況判断に絶対 の自身がない限り、単独行動は謹むことなど。ばかりではない。深雪の魅力にと りつかれ、社会的地位を失うかもしれない。ボンビー化の危険。家族が崩壊する かもしれない。恋人に逃げられるかもしれない。愛人も失うかもしれない。人間 性が損なわれるかもしれない。あまりの快感に、よだれが止まらなくなるかもし れない。鼻水もたれるだろう。失禁、脱糞するかもしれない。アテントが必要に なる。アテント背負ってヘリにのるようになったら、おわりだ。胸に手をあてよ ーく自らをふりかえってみてほしい。 てなわけで、とりあえずは、コケてもらう。冗談ではない。ほんとにコケても らうのだ。練習問題そにょ1。直滑降で前転してコケる。ではない。直滑降です べり、ある程度のスピードがでて、もう少し早くなったら怖いなと、思ったら体 を横にたおしコケる。左右両方交互にたおれる。スキーのトップを沈めないこと だけが注意点。あとはなんでもいい。できるまで、これを左右にくりかえし、山 をぜんぶおりてくる。そんなことしたら、絶対嫌われる。あいてが恋人っだった らこれで終わる。でもほんとは2、3回でできる。そしたら、倒れるスピード 徐々にゆっくりにしてもらう。スキーが山回りしてコケるようになったらめっけ もん。 目的は直滑降から山まわりでとまること。コケようが、なんだろうが、斜面に まっすぐ滑っても、必ず止まれることを、覚えてもらうのである。他の雪質に比 べて比較的抵抗の大きい深雪では、体を横にたおしコケルまでの短時間でもスキ ーはある程度まわる。恐怖心が薄れてきたら、動作をゆっくりすることで、スキ ーはより深くまわる。慣れてきたら、バランスをとり なんとかころばずに止まれるようになる。 そにょ2。そにょ1でとまったあと、休まずにスキーを下に向け、反対側に。 最初は先開きでバタバタと踏み変え直滑降にはいる。なれてきたら、止まらずに 次のターン?にはいる。とにかくジタバタする。 そにょ3。連続してできるようになったら、大股開きのシュテムで直滑降に。 シュテムだけでは直滑降にはいれないことが多いので、不足分を強引にジャンプ でおぎなってもらう。ジャンプとシュテムの引き寄せを一緒にするといい。複雑 なテクニックである。シュテムしてジャンプして山まわり。ちなみにストックの タイミングは、ジャンプするとき。ジャンプのしかたもなんでもいい。伸身でも 屈伸でも。それどころではないのだ。なんと命名していいかわからん怪しいター ンだ。しかしこれ、どうにもならん悪雪では、エキスパートにさえ有効だ。さら に、後半の山まわりがたりないときは、前述の先開きのバタバタを、ここ回転後 半でもつかう。ほんとは「ボーゲントレーテン」って技術用語だけど。すさまじ いとしかいえない。すごくかっこわるい。恥も外聞もない。でも、こういうの が、本当のテクニックだと思う。究極なのだ。 しょにょ4。シュテムをはぶいて連続ターン。この段階までは、ジャンプを全 部自分の筋力でやっているはず。そろそろ長い休憩。ここまででもときどき休ま せる。じゃないときらわれる。だけならいいけど、げろはいたり、白目むいた り、ピクピクしちゃうかもしれない。恐るべし。 しょにょ5。整地でストックワーク。ショートターンをめざすのだ。ショート ターンは、水蜘蛛の術なのだ。片足が沈む前に次の足、というあれだ。片側のバ ランスを失い倒れる前に次のターンというわけだ。そこで大切になるのが、スト ックワーク。非常に単純だが、パラレルとショートターンの技術要素の決定的な 違いはこれだ。簡単なことだ。パラレルではストックを突いた後、ストックをう しろにそろえる。ショートターンではストックを突いたと同時に反対のストック を前にだす運動を始動する。つまりストックのそろう時間がないということだ。 ちいさめのパラレルで常に左右が相反的に運動するストックワークを覚えてもら う。だんだんリズムを小さくしていくわけだ。連続的にストックをつくことによ り、反射的に次のターン入れるようになるまで、訓練。 しょにょ6。水蜘蛛の術。深雪で例のストッックワーク。リズムをとぎれさせ ない。ストックが常に相反運動をしていく。これができるようになれば、徐々に 雪と対話ができるようになってくる。ジャンプが自力から、スキーと雪の反動を 利用できるようになるということだ。ここまでくれば、もお、はまりかけてい る。ひとりの POWDER JUNKERの 一丁あがりである。神よゆるし たまえ。 あとは、雪に埋めとけば、勝手に熟成上達する。半年ほどパウダーをあたえな いと禁断症状をおこすので要注意。身に覚えの諸姉、諸兄も多かろう。ピクピ ク。 ジャーン。 今回は身近な話題でした。 深雪の指導法ってあまり聞いたことありませんでした。 これだけじゃないと思います。 とりあえず私の得意わざをご披露。 実際雪のうえで、文章通りにはいかないはずです。 機会があったら参考程度にどうぞ。 って、とこです。 ちょっと、おとなしすぎましたか? 次回は、もうちょっと荒唐無稽、某若無人の路線もどってみたいと思います。 すちゃらかちゃん。 ('96.10.28)
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